前回の記事では、出産までの流れを思い出しながら書いていきましたが、今回は出産を終えた翌日の出来事です。
誰も想像できなかった、まさかの展開になります。
平穏な朝
出産日の翌朝、僕は病院に行きました。妻は朝食を済ませ、元気にしていました。
看護師長さんから、
今日はできるだけ早く歩く練習をしましょう。
ずっと寝ていると血の流れが悪くなってしまいます。
と言われ、妻は「これで子供に会いに行ける」と楽しみにしていました。
その日は休日ということもあって、僕の両親や妻の両親、親族の方など色々な方が病院に来ましたが、夫以外は妻がいる病室に入れないうえに、ガラス越しでしか子供を見ることができない、というルールであったため、みんな少し残念がりながらもガラスの向こうの子供に声をかけたり写真を撮ったりして、帰っていきました。
歩く練習で異変発生
夕食を終え、19時ごろになって看護師長さんが病室にやって来てきました。歩く練習を開始するとのことです。僕は、面会時間が20時までであったため、もう少し居ても大丈夫ということで、その練習を横で見ていました。
看護師長さんが、妻の体を支えて上半身を起こし、妻が立ち上がろうとしたその時、「あーー!ちょっと待って!!」という大きな声とともに、妻が倒れそうになりました。看護師長さんは慌てて「1回元に戻ろうか」と座らせ、横にさせました。妻は寝転び、ゼーゼーと100m走の後のように呼吸が乱れています。看護師長さんは「いきなりすぎたかな?ちょっと呼吸が落ち着いてからもう1回しようか」と言って、一旦部屋を出て行きました。
僕もそんなに大ごとではないのだろうと思い、「大丈夫?」などと言いながらうちわで妻をあおいでいました。そうこうしているうちに、面会時間終了の20時になり、そのタイミングで看護師長さんが病室にやってきて「面会終了時刻なのでお父さんは帰ってください」と言われたので、僕は病室を出て、子供の写真を1枚だけ撮って帰りました。
病院からの呼び出し
僕たちが住んでいた家は病院から車で約20分のところで、家に着いた途端、スマホに登録していない電話番号から電話がかかってきました。出てみると妻が入院している病院からでした。
奥様の動悸が激しく全くおさまりません。
すみませんが、もう一度病院に来てもらえないでしょうか。
僕はとても驚き、再度病院へと向かいました。わけが分からず、僕の鼓動も高まるばかりです。何度このようなドキドキを味わえばいいのでしょう。
総合病院へ移動
病室に到着すると、先生や看護師さんが5,6人ベッドの周りを囲んでおり、妻には酸素マスクが装着されていました。妻は目を開けていましたが、声をかけてもうなずく程度で喋る元気はなかったようです。そして、先生から次のような説明を受けました。
血中酸素量が少ないです。
血の塊、いわゆる血栓が肺に詰まってきちんと酸素を供給できていないのかもしれません。
総合病院に連絡を取り、今救急車がこちらに向かっています。
奥様を救急車に乗せた後、その救急車の後をついて、総合病院に行ってください。
この状態がどれだけ危険なのか、そんなに大したことではないのかよく分からないままに、僕は病室に持ってきていた妻の荷物を集めてすぐに出発できる準備を整え、念のため妻のスマホを開いて、妻の両親の連絡先を僕のスマホに記録しました。
それから、看護師さんに「是非奥様に声をかけてあげてください」と言われたので、「ずっと辛い状態が続いてるけどがんばれよ」と言いました。正直その時は、亡くなるとは思っていませんでした。そして、この言葉が意識のある妻にかける最期の言葉になるとも当然思っていませんでした。
絶望的な言葉
救急車が到着し、妻は総合病院へ搬送されました。僕もその後を追うように同病院へ向かいました。この時、ドキドキはしていましたが、救急車にはプロフェッショナルな人がいるし、さっきの病院でも応急処置はしていたし、ひとまず何とかなるだろうという安心感は少しありました。
総合病院へ到着すると、待合室で待つように言われたので、言われたとおり待っていました。そしてその時ふと思い、妻の母親に電話をかけて事情を説明したところ、心配だから来るということになりました。
1人で待っている間、目の前を何人もの医者や看護師がバタバタと駆け回り、処置が進められているようでした。そして30分か40分ほど経ってようやく1人の医者がやって来て状況を説明してくれました。
これまでの状況ですが、実は救急車での運搬中に一時心肺停止までいきました。
なんとか蘇生し、今は自分の力で心臓は動いていますが予断を許さない状況です。
これから集中治療室(ICU)に移動して、引き続き処置を行います。
別の者が改めて案内するのでもう少しお待ちください。
僕は「一時心肺停止」という言葉を聞いて、事態の深刻さを思い知らされました。歩く練習をして呼吸が荒くなった時にもっと早く看護師長さんを呼び戻せば良かったとか、面会終了と言われてもすぐに帰らなければ良かったとか、今さらどうしようもないし、僕が何とかできることでもなかったかもしれないですが、色々な思いが湧いてきてずっと頭を抱えていました。
医者からの説明を受けて10分ほどしてから妻の両親が到着し、医者から説明されたことをそのまま伝えましたが、やはりショッキングな様子でした。一度心肺停止した人がきちんと復活する可能性はどれぐらいあるのかとか、そういうことを調べてさらに絶望的になっていたようです。
処置は深夜まで続く・・・
しばらくして担当の方がやって来て、ICUの方へ案内してくれました。しかしすぐには入ることはできず、部屋の外の待ち合い場所で待機です。僕と妻の両親の3人は、ほとんど会話をすることはないまま、そこで深夜3時ぐらいまで待ち続け、ようやく先生が出てきました。
とりあえず応急的な処置は完了しました。
出血がひどく、それを止めるのに苦労して時間がかかってしまいました。
血栓が飛んだと思われますが、どんなサイズのものがどこに詰まっているのかはきちんと調べてみないと分かりません。
それはまた明日以降検査します。
時間も遅いので今日は一旦ゆっくり休んでください。
出血がひどく、止めるのが難しかったというのは、まず出産時に会陰切開を行っていたこと、それから帝王切開後に血液をサラサラにする薬を投与していたことが影響していたようです。ちなみに、後日産婦人科の先生に、血液をサラサラにする薬を投与しても血栓はできるものなのか、と聞いてみましたが、もしも薬を投与する前に血栓ができてしまっていたらそれを溶かすほどの効果はないのでどうしようもない、という回答でした。
僕たちは一旦帰ることになり、警備員のおじいさんに駐車券を渡してチェックを受けている時にこのように言われました。
長かったね。何とかなりそうかい・・・?
普通の患者だと運び込まれて20分処置してどうしようもなけりゃそれで大体終了だよ。
でも、今回は1時間近く処置してたね。
たぶん生命力があって希望があったんだよ。
がんばってください。
どうやらこの警備員さんは、妻が運び込まれた時から様子をずっと見ていたようです。
帰り際に少し希望をもらって僕は家に帰りました。
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