妻は出産翌日、歩く練習をしようとした時に倒れてしまい、一時心肺停止からの意識不明にまで陥るという急展開で、僕は何がなんだか分かりませんでした。
この時はまだ、復活する可能性は絶対あると自分に言い聞かせていました。
状況は変わらず
集中治療室(ICU)での入院が始まった翌朝、妻のところに向かいましたが状態は全く変わっていませんでした。でも僕はこの日、やってみようと決めていたことが1つありました。それは、妻と考えて決めた子供の名前を、何度も耳元で言ってやろうというものです。もしかして、脳がピキーンと反応して目を覚ましたりしないだろうかとか、そんなことを考えていました。そして、周りに人が少ない時を見計らって、ちょこちょこ声をかけてみましたが、全く反応はありませんでした。
そのような中で、看護師さんから「もし良かったら好きな音楽とかあったらかけてもいいですよ」という言葉をいただきました。それ以降、妻が好きだったミュージシャンの曲をずっとかけるようになりました。妻の脳には届かなかったかもしれませんが、僕の脳にはしっかりと残っています。
最悪の検査結果
さっそく、初めての検査が行われました。MRIか何かで脳の検査です。かなりたくさんの線や管が繋がっていたので、検査室へ運ぶだけでも一苦労だったようで、慎重に移動させていました。
結果が出たのはその日の夜だったか、次の日の夜だったかはっきりと覚えていませんが、お医者さんからの報告を受けたときには体を何かに撃ち抜かれたような衝撃を受けました。
脳検査の結果ですが、結論から言うと、脳は完全に機能を停止しています。
かなり大きな血栓が肺に飛んだようで、この時、肺での酸素-二酸化炭素の交換機能が一時的に正常に働かなかったと思われます。
これにより脳に適切な血液が回らず、脳がダメージを受けてしまったようです。
脳は腫れあがっており、はっきり言って治療は不可能です。
僕は一瞬でもう吐き気がして頭が痛くなるぐらいにショッキングでした。何か色々と質問したような気もしますが、あまり覚えていないです。
ようやく出てきた涙
お医者さんからの話を聞いた後、とりあえず意識不明の妻のところへ向かい、その横たわっている姿を見て今一度「そうか、もう目を開かないんだ」と頭を整理しました。そして、そこで5分ほどぼーっとして家に帰りました。とりあえず寝転びたい気持ちになったような覚えがあります。
帰りの車の中で、色々なことを考えました。妻が亡くなってしまうという悲しみは当然ありましたが、それと合わせて、僕はこれからどうすればいいのか、というとてつもない不安に襲われました。生まれたばかりの子供とこれから2人っきりで生きていくことができるのか。いや、無理に決まってるじゃないか、という絶望で頭がいっぱいになりました。
家に着いて、ソファーに寝転がった途端に大量の涙があふれ出てきました。それこそ声が出るぐらいに泣いた記憶があります。人生のリセットボタンがあるなら押していたかもしれません。
出来事を全て受け入れる
思いっきり泣いた次の日、意外と気分はスッキリしていました。
病院に行って、たくさんの管が繋がった妻の姿を見ると、今までの2人の思い出と合わさって、変に心臓がズキズキしたり頭が重くなったりもしました。しかし、起こってしまったことはどうしたって戻すことはできない、ということも頭で理解できるようになっており、これから先どうしていくかの方が重要だということも考え始めていました。そして、子供とがんばって生きていこうと覚悟を決めた日となりました。
おそらく周りからは「どうしてこんなにケロっとしているんだ」「冷たい人間だな」とか思われていたんじゃないかというぐらいに、僕は前向きな思考に変わっていました。
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