出産後に意識不明になってからの出来事②

妻のこと

妻がもう助かる見込みがないことが分かってから、僕は前向きに生きていく覚悟を決めました。

この時から妻が亡くなるまで約3週間ありましたが、その間僕がどのようなことを思いながら、どのように過ごしたかを書いていきます。

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子供との過ごし方

妻が集中治療室(ICU)で入院を開始した一方で、子供の方はまだ産婦人科に預けたままでした。もちろん状況を連絡して、しばらく預かることを許可してもらっていたので特に問題はなかったのですが、総合病院の方からこっちの病院に移してはどうか、というお話があったので、すぐに同じ病院の小児科病棟へ連れてきました。それ以降、僕は病院に行っては妻と子供のところを往復する日々を過ごすようになりました。

子供は大体寝ていましたが、僕の中では「とにかく懐いてくれないと終わりだ」という気持ちが強かったので、看護師さんにミルクをあげる時間を聞いて、その時はできるだけ行って僕がミルクをやるように意識しました。

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妻の両親との付き合い方

妻の両親は、病院から1時間ほどかかるところに住んでいたため、病院内の空いている部屋を1部屋借りて、そこで寝泊まりをしていました。なので、僕が病院に行くと大体顔を合わせることになりましたし、ご飯を一緒に食べたりもしました。

彼らにとって妻は一人娘であったため、ひどく落ち込んでおり、もう夢も希望もないような状態になっていました。僕はかなり早い段階で前向きに生きていくことを心に決め、彼らの前で落ち込んだ姿を見せなかったので、嫌な気にもなっていたかもしれませんが、正直なところ「どう思われようが構わない」ということを思っていました。過ぎたことを振り返って落ち込むより、これからどう生きるかを考え行動する方が価値があり、幸せを掴める可能性が高いと思うからです。

僕はこの時点で、将来的にはこの家族とは距離をとって付き合っていくだろう、いやもしかしたらほぼ縁を切るだろうと思っていました。子供の気持ちも関わってくるのでぼんやりとでしたが、僕はそのようにして生きていきたいと考えていました。

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友人のお見舞い

妻の母親が妻のスマホを使って、妻の友人達に状況を連絡したようで、昔からの友人や会社の同僚等、毎日のようにたくさんの人がお見舞いに来てくれました。個人的には変わり果てた妻の姿をあまり見てほしくなかったのですが、多くの人が涙を流して妻との思い出話を聞かせてくれたり、妻との写真等を持ってきてくれたりして、それはそれで良かったのかなという気がします。

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会社への出社

出産のタイミングが連休だったこともあり、子供が生まれたことや出産後にトラブルがあったことは会社には何も言っていませんでした。妻がICUに入院し始めてからようやく出社の日がやって来て、その日の朝、僕は上司に状況を報告しました。上司はかなりショックを受けていました。そして、もし病院等から連絡が来たらすぐに退勤してもOK、それから総務部長からは、通常なら有給取得は半日単位ですが、特別に時間単位での取得もOKという許可をもらうこともできました。個人的な出来事にも関わらず柔軟な対応をしてくれて、申し訳なさと感謝で胸がいっぱいになりました。

自分からは出来事について積極的に話をしませんでしたが、子供がそろそろ生まれることを知っていた何人かは「子供生まれた?」という風に話をかけてきました。どうせ後々みんなに知られることになるんだろうと思い「実はね、、、」と正直に話しました。このような話をすると相手が反応に困るだろうと思っていたので、できるだけ話題を振ってほしくなかったのですが、申し訳ないと思いながら話しました。

僕は、妻が入院を開始して亡くなるまでの約3週間は、大体が半日だけの出勤をしていました。検査がある時などは1日休みを取ったりもしていましたが、その時はこの状況がいつまで続くか分からないうえに、今後子供と暮らすようになった時に、子供の体調不良等で休みを取らなければならないかもしれないと思い、できるだけ有給休暇を残しておきたくてそのようにしていました。後から会社の仲良かった人から聞いた話では「普通休んでずっとそばにいてあげるだろう」と言ったりしていた人もいたようですが、自分基準の「普通」を持ち出しての批判は全く気になりませんでした。

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