妻が亡くなり、葬儀の準備を進めることになりました。
とは言っても、実際は亡くなってからではなく、1週間ぐらい前から「どこでやるか」「どこのお坊さんにお願いすればいいのか」等といった検討は進めていました。
自分が喪主になるまでは・・・
僕は幸運なことに、それまでほとんど葬儀に参列する機会がなく、幼稚園の時に祖父の葬儀に行った記憶しかありませんでした。
僕自身は、自分が死んだ時に身近な人に手間を取らせたり、面倒を煩わせたくないので、僕の葬儀はサラッと終わらせてもらっていいという思いがあり、妻の葬儀もこじんまりとしたいと思っていたのですが、妻の両親が「盛大に送ってやりたい」という方針だったので、それに合わせざるを得ませんでした。
妻の葬儀は葬儀場でやることになり、妻の両親によって少し豪華なセットになったので、お金を払わなければいけない喪主の僕はまあまあの不満を抱えていました。
実際に葬儀をやってからは・・・
妻の葬儀には、お通夜と合わせて90人ぐらいの方が参列してくれました。
まだ若くて人付き合いが活発だったというのもあるかもしれませんが、それでもこれだけの人が集まるのは純粋にすごいなと、妻を見直しました。
僕の知り合いとして参列してくださったのは会社の方がメインでした。
その中で一番印象に残っているのは、僕の同期です。彼は、入社して3~4年で辞めてしまいましたが、僕の唯一の同期として退職後も近況について連絡を取り合ったり、2人で飲みに行ったこともありました。彼には、結婚したことは伝えていましたが、子供が生まれることやこのような状況になっていることは言っていませんでした。後から聞いた話では、僕の上司が彼に連絡を取って状況を伝えると「葬儀に行きたいので場所と日時を教えてください」と返ってきたそうです。なので、焼香で彼が前に出てきてこちらを向いた時にとても驚きました。もちろん彼が来てくれたこと自体にも驚いたのですが、それだけではなく、彼は顔をクシャクシャにして泣いていたのです。僕の妻とは会ったこともないのにです。そして、最前列に座っている僕や僕の両親、妻の両親ひとりずつに丁寧にお辞儀をしてくれました。
僕はその姿にとてつもない感動を覚えました。そして、ようやく「この葬儀をして良かった」と思えました。
葬儀の意味
「葬儀の意味」と言うと少し大げさですが、同期の彼の行動がそれを教えてくれたような気がします。
葬儀は、遺族の方にとっては亡くなった方を見送る式であるのは間違いないと思います。
しかし参列者にとっては、もちろん亡くなった方を見送ってあげるという目的で参列するものだとは思いますが、それ以上に、残された遺族の方を慈しみ、同じように辛さや寂しさを分かち合ってあげることが大事で、遺族にとっては来てくださった方のそのような態度や言葉で気持ちが救われるものです。
後日、同期の彼に連絡を取り、飲みに行きました。そこで話を聞くと、彼は僕より早く結婚して子供もいるのですが、彼の奥さんも出産時に結構苦労したそうです。なんとか母子ともに無事だったようですが、彼はその経験もあって僕の妻の話を聞いて、他人事のようには思えなかったみたいです。
それでもやっぱり、彼のとった行動はすごいと思うし、僕は嬉しかったです。
そのような心の優しい人になりたいと強く思った葬儀でした。
(とは言っても、僕の葬儀はこじんまりとしたもので大丈夫です。)
コメント