その時は突然訪れました。
妻の状況
妻の状況ですが、時々心肺停止に陥りそうになってはその度に心臓マッサージ等で蘇生し、なんとか生命を保つことができていました。しかし、入院開始から2週間ほど経ってお医者さんからこのように言われました。
次に心肺停止した時はもう処置を行わないようにしたいです。
目を開けなくて会話ができなくても、そこに身体があって心臓が動いているということは親族の方にとってはとても大きなことだとは十分理解しています。
でも、いつまでもこの状態を続けることはできません。
大変つらいですが、別れはいつかは来てしまうのです。
僕や妻の両親は、当然いつかはそれを受け入れなければならないことを知っていました。なので、お医者さんからその言葉を受けた時はショックではありましたが、受け入れざるを得ませんでした。
突然の呼び出し
仕事は同僚や後輩の協力を得ることができて、半日で帰る日もあれば、終日出社して定時に帰る日もあったりと自由にさせてもらっていました。
その日、定時である17時になって帰ろうかという準備をしていた時に、僕の携帯に妻の母から電話がかかってきました。
仕事終わった?
もうダメかもしれない。
早く来て。。。
その言葉を聞いて、すぐに会社を出ました。会社から病院までは約1時間です。覚悟はしていましたが、いよいよそうなる時が来ると思うと、これまでの思い出、これからの不安等いろいろな思いでいっぱいになり、心臓はドキドキして少し気分が悪くなりながら運転しました。
そして、いつもどおり病院に到着しました。
その時に立ち会えず
車を降りて入口に向かう時、妻の父とすれ違いました。
妻の父はタバコを吸いに外に出てきたところで、首を横に振りながら「行ってごらん・・」と言われました。
病室に入ると妻の母がいて、
電話をする前の16時ぐらいから心電図の動きが怪しくなって、電話を切ってすぐぐらいに亡くなった。
と話を聞きました。
そして、先生がやって来て同じように話をしてくれました。
僕自身は妻が亡くなる瞬間には隣に居ることができませんでしたが、実際僕にとっての妻の最期の時は、産婦人科病院で酸素ボンベを装着されて辛そうな目をしていたときです。
この時は「どうせ大したことないんでしょ」程度にしか考えていなかったので、もっといろんなことを話かけたら良かったとか、後悔はありますが、そこに正解はないですし、本当にすぐに死んでしまうかもしれないような状況だったとしても、妻を救えるような言葉なんて出てこないと思うので、今はあまり気にしないようにしています。
それよりも今思うのは、人間はいつ死ぬか分からないから他人に対して常に優しくありたいということや、自分自身が後悔のない人生を送りたいということです。
毎日のように「おやすみなさい」と言って寝る子供や、「お疲れさまでした」と言って帰っていく同僚など、明日また会える保証はどこにもありません。「一期一会」という言葉があるように、他人との関わり合いの中では1日1日を大事にすべきです。
そして、自分自身が迷った時や辛い時に思うのは「今ここで死んでも後悔しない選択をしよう」ということで、自分がどんな人生を送りたいか、何がゴールなのかを考えながら、それに向けて積極的に行動するように意識しています。
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